「少し時期が早すぎるだろうか」と某企業の人事部長はいきなりおっしゃいました。「7,8年前までは、転職人材が会社の戦力だった。中途採用は当社の戦力でしたよ。ですが、今は、新卒にも人気のある会社になりましたが、すぐに転職されてしまう側になりました」心に響く言葉でした。
経団連と大学側は就職活動のスケジュール的なルールを守ることに合意しましたが、抜本的な改革に向けて協議をはじめました。経団連の主張には、社会経済の変化を熟知した視点が盛り込まれています。
働き方、仕事の選び方、すべてに大変革の嵐が押し寄せているのです。企業は、「転職されてしまう」と思いながらも、新卒採用に躍起になることが賢明なのでしょうか。それはいつまで続くのでしょうか?おそらく、長くは続きません。それでも、「もう、社員と会社の労働契約の意義は変わっている」と言葉に出せないのが、人事部門の本音ではないでしょうか。
会社と社員はどのように価値を共有できるのか?経営指針がるのであれば、個人の仕事指針もあります。それをどのようにお互いが調整するのでしょうか?お互いを理解することなく、従来の人事掌握型のコミュニケーションでは、自分の仕事指針を受け入れてくれない会社、という判断を社員はします。
前述の人事部長は、若い人は「したいことばかりを見ている」という言い方をなさいました。私も、その言葉には同意です。ですが、したいことのために自己成長をかけて、学びを求める社員や情報を求める社員は増えています。ビジネススクールに行くことだけが学びではありません。今のご時世では、手段はいくらでもあります。
若い人材を甘く見てはいけないのです。自分のキャリアパスは自分で決めるということを理解している世代になりつつあるのです。そのことを企業の人事部は言葉に出して、経営層にどのように伝え、自社の人材教育をどのように変えるのでしょうか?
「当社にはまだ早い」と逃げていても、社員は自由闊達に動き回るのです。それを止めることはできません。新しい年度がはじまります。「まだ早い」を逃げることは賢明な策ではありません。
サービス部門などでは、雇用体制の問題が常に問題になりますが、パートから部長になるような「サービスの逸材」がいてもおかしくはないのです。それを認める勇気が必要です。
本当に変革すべきは、「定型化した、一般化した人材教育」と決別することです。言葉に出す勇気が必要です。