ある会合で後輩の女性から「○○さん、今のパワハラですよ」と言われ、「どうしてだよ」と困り果てている先輩男性の声が聞こえて来ました。60歳近いメンバーの中での話ですが・・・・。
筆者の世代、50代後半でも「パワハラ」のご利益があるのかと想い、ニヤニヤ。言ってみたい!ものだと思いつつ、「言われる方だよね」と自虐の苦笑い。そこら中で、「ハラスメント」という言葉が飛び交っています。
年齢に影響されるところが大きいとは思いますが、「やってごらんよ、今やらないと評価が上がらないよ」と部下に言ったところ、大騒ぎになったという男性の声も聞こえてきました。「彼のためにと思ったのだが」とがっくりしていました。
ハラスメントにはいろいろありますが、どのハラスメントにも共通していることは、お互いを尊重する気持ちと行動が確実に示されていること、だと思います。
「これだけ親身になっているのに」「君のためだと思って言っているのに」という言葉には、「察してくれよ」「わかってくれよ」という甘えがあります。
その反対に、受ける側にも「そのくらいのこと、わかってくれてもいいだろう」「あんただって、そういう経験あるだろう」「がんばってやっているんだから、わかってくれよ」という甘えがあります。
この甘えは、マタハラなどの根底にもあるものかもしれません。
かといって、ストレートに「発破」を掛ける言葉が想い当たらない上司、先輩もいます。研修の場では、「お茶を入れてくださった奥様に、ありがとう、と伝えていますか?」と年配の男性には訊くようにしています。
同じように「ご主人が荷物を持ってくれたらば、ありがとう、と言っていますか?」と女性にも訊いています。さらに「言葉もなく黙々と食事をきれいに食べている男性に、作り手として、言葉もないほど美味しく食べてくれて、ありがとう、と言っていますか?」とお尋ねするときもあります。
うれしい気持ちは言葉でハッキリ伝える。励ますときには、一緒にがんばろう、力になれることはあるかと尋ねる。言葉にしてくれない相手の想いは、良い方向に捉える。たったこのくらいのことですが、言葉に血が通い始めます。
年齢やキャリアに関係なく、「人を想う」が基本だということをハラスメント」というテーマによって思い起こせたら、しあわせですね。
社内のコミュニケーションはこうして、「人の力」になり、お互いの価値を高めることができるようになるのでしょう。その結果、企業の変革力は高まり、成果も伸びることでしょう。社員の個の価値があがるからです。
ですが、その先にあるものは、組織が期待する人材価値と本人が目指す人材価値とのギャップの出現です。年功序列が無い世界の新たな葛藤でもあります。
それでも、言葉に血が通うことは必要であり、「よく生きる」ための技術でもあると思います。
ハラスメントによる行動の変化も、実はターニングポイントなのです。何かが変わるのです。その方向を決めるのは、ターニングポイントをマネジメントできる、と知っているひとだけです。
暖冬ですね・・・・。皆様のお住いの地域はいかがでしょうか?
これも変化です。
生活の変化は経済、社会のすべてを巻き込んでいきます。それを受けとめ、「よく生きる」ためのセルフマネジメントをしましょう。